【碗】
サンゴに覆われつつある中国清朝陶磁器の碗。沖縄の陸上遺跡ではまったく発見されないタイプである
1872年、琉球王国国頭間切(沖縄県国頭村宜名真)の沖合いで1隻の異国船が座礁・沈没した。その船はイギリス船『ベナレス号』。インドの叙事詩「マハーバーラタ」にも登場するという死と生の街、聖地ベナレス、その名を冠したこの船は、香港を出港しサンフランシスコへ向かう途中、嵐で遭難して沖縄の海に沈んだ。
陸上にはこの事故で亡くなった船員を埋葬した墓(「オランダ墓」と呼ばれている)が残されており、船の積み荷であった巨大な花崗岩方形石材が何枚も使われている。また、船が積載していた鉄錨も国頭村奥の漁港に保管されている。地元では事件とそのてんまつは、さまざまな伝承として伝わっているのだ。
【オランダ墓】
に積載されていた花崗岩方形石材が「オランダ墓」の縁石として12枚利用されている。巨大なものは3mを超す
【ベナレス号】
に積載されていた花崗岩方形石材が「オランダ墓」の縁石として12枚利用されている。巨大なものは3mを超す
近年、歴史学者によって、琉球、日本やイギリス側の文献資料が発見され、詳しい沈没年代、国籍、船名などが明らかとなった。船長はジェームス・アンダーソン、乗組員は船長の息子レイなど18名で、全員の名前が判明している。『ベナレス号』は茶・砂糖・米を積む商船だったようだ。しかし、海難事故によって船は沈没し13名が死亡、生き残ったのはわずか5名であった。
【木製滑車】
『ベナレス号』に装備されていたと考えられる木製滑車。海底にはさまざまな船のパーツが残されている
この事件を実態として知ることができる沈没船遺跡が宜名真沖の海底で発見された。水中考古学の専門的な調査の結果、海底には木製滑車や船釘などの船の残骸が残され、船にはヨーロッパ陶器やガラス瓶、フォークやバターナイフなどの西欧式食器類、粗雑な中国清朝陶磁器や巨大な花崗岩方形石材が積載されていたことが明らかとなった。各種ヨーロッパ製品はイギリス人船員の持ち物であった可能性が高いが、粗雑な中国清朝陶磁器や巨大な花崗岩方形石材は、文献には記されていない積み荷である。この中国清朝陶磁器はその後の研究によって、アメリカに渡った中国人労働者(苦力)がよく使用していたものだということがわかった。『ベナレス号』は苦力貿易にも関与していたのだろうか。考古学は文献に記されていない事実を明らかにする。今後のさらなる研究成果が待たれよう。
【ワインボトル】
海底で発見されたワインボトルの写真撮影。瓶は完全な形を残しており、中にはコルクが残存していた
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
>>アジア水中考古学研究所webサイト
>>月刊ダイバーで連載中
文・解説=片桐 千亜紀 (かたぎり・ちあき)さん
沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員/沖縄考古学会会員/日本人類学会会員/アジア水中考古学研究所理事/南西諸島水中文化遺産研究会副会長