【船首】
右舷側を下に横たわる「エモンズ号」の船首部分、先端には旗竿の基部が残る
陽光きらめく海上と薄暗い海底に横たわる船体、この間にある海水は、平和な現在と過去の戦争を結ぶタイムトンネルであった。海底には1945年の沖縄戦の情景がそのまま凍結されていた。
沖縄県本部半島、今帰仁村北方の水深約40mの海底に眠る「エモンズ号」は、1941年に進水したアメリカ海軍の駆逐艦(後に高速掃海艦に改装)である。基準排水量2050t、全長106・2mの船体には、5インチ砲や多数の対空機関砲を装備していた。
【エモンズ】
高速掃海駆逐艦DMS- 22「エモンズ」要目 全長106・2m、全幅11・0m、
基準排水量2050t、最大速力35 kt、主砲=5インチ単装砲4門、12・7㎜機銃6基、21インチ魚雷発射管10門、
20㎜機銃6基、爆雷投射機6基(※兵装はグリーブス級駆逐艦「DD-457」として竣工された時のもの。
のち掃海艦として改装され艦種変更)。写真は1942年時のもので、戦没時とは船体塗装、武装などが異なる。
船体にはメジャー12と呼ばれるグレー2色迷彩が施されている。
1945年4月、太平洋戦争末期の激戦地、沖縄戦に参加した「エモンズ号」は、レーダーピケット任務(敵飛行機の来襲をレーダーで探知し、通報する役目)に従事していた。4月6日、本部半島の北方で配置に就いた「エモンズ号」は、日本軍特攻機による大規模な攻撃を受けた。その多くは回避したが、1機が船体後部に突入して大爆発を起こした。乗組員の奮闘にもかかわらず、翌7日にはついに船体の復元能力が失われ、海没処分とされた。この戦闘で乗員60名が戦死し、77名が負傷したと伝えられている。
右舷を下に約45度の角度で海底に鎮座した船体は、戦後60数年を経た現在も驚くべき良好な状態で遺存している。とくに艦首側では、アメリカ艦特有の直線的でスマートな船体を認めることができ、前甲板にある1、2番砲塔の5インチ砲は、その威容をとどめている。いっぽう、攻撃を受けた船体後部は、外板がまるで紙のようにめくれ上がり、変形したスクリューやシャフトがかろうじて船体に取り付いている。当時の戦闘のすさまじさが実感となって伝わってきた。
【1番砲塔】
「エモンズ号」の1番砲塔、装備された5インチ砲は左舷側を指向している。
今回のダイビングはごく限られた時間であったが、あらためて沖縄の歴史を振り返る貴重な体験となった。「エモンズ号」に限らず、日本近海には太平洋戦争で戦没した軍艦や輸送船が数多く眠っている。これらは、海底に残された兵士や乗組員たちの墓標である。またその一方で、戦争の実態を物語る貴重な歴史遺産でもある。今後、こうした船に対しても詳細な調査と研究が必要となろう。
【後部甲板】
船室の壁に立て並べて収納されていたパラベーン(機雷を除去する装置)
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
>>月刊ダイバーで連載中
文・解説=吉崎 伸 (よしざき・しん)さん
1957年、岡山県生まれ。現在、京都市埋蔵文化財研究所調査課長。その傍らNPO法人 水中考古学研究所理事長として、坂本龍馬の「いろは丸」など水中遺跡の調査・研究に携わっている。