【測定】
陶磁器片のサイズを確認する調査員。本格的調査まで取り上げず、現地保存が鉄則である
トカラ列島は、鹿児島県の大隅諸島(種子島・屋久島など)と、奄美群島との間に南北に連なる12の島々よりなり、行政的には鹿児島県鹿児島郡十島村に属する。口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、小宝島、宝島の7島に人が住んでおり、臥蛇島、小臥蛇島、小島、上ノ根島、横当島の5島は無人島である。平島は北から3番目に所在する有人島で、面積2・08㎡、周囲7・23㎞、人口は65人である(2015年8月31日現在)。今も島外とのアクセスは船便(『フェリーとしま』)のみである。
【平島南ノ浜港】
新港工事以前の旧港風景。
江戸時代、トカラではカツオ漁が盛んで、薩摩藩は毎年トカラ産のかつおぶしを徳川将軍家に献上していた
平島の海岸部で18〜19世紀の中国で生産された清朝磁器片が採集されることは、以前より報告されていたが、2011年11月、私たちは、平島陸上の踏査と南ノ浜港海底の潜水調査を実施した。その結果、陸上、海底ともに、日本本土産の陶磁器(肥前陶磁器や薩摩焼など)と清朝磁器が散布していることを確認した。
【清朝磁器】
平島の清朝磁器は日用品が多く、島の人々の生活に根づいたものと推測される
当初、平島に散布する清朝磁器は、江戸時代において平島への中国船の漂着記録が数例あることから、その際に持ち込まれた可能性を考えていた。しかしその後、トカラの他の島々の分布調査を実施したところ、いずれの島でも、清朝磁器が採集できた。そして、それらは日常で使う量産品が多かった。
【磁器】
南ノ浜港の海底に沈む江戸時代の肥前(現在の佐賀・長崎県)産磁器
江戸時代、トカラの人々は、鹿児島と奄美・沖縄との間で、さまざまな物資を運ぶ船の乗員として活躍した。また当時、沖縄(琉球王府)は清朝と国交を結び、清朝製品を多数輸入していた。沖縄を訪れたトカラの人々が、日々の生活用品として清朝磁器を購入し、島に持ち込んだのであろう。
【逓減】
陶磁器片は海底の砂紋の間を漂い、摩耗してしだいに小さくなっていく
平島南之浜港の海底に沈む日本や中国の陶磁器が、沈没船に由来するのかどうかは、まだはっきりしない。しかし少なくともトカラの人々の海を越えた活動の一端を伝えていることは間違いないだろう。
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」
考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児(やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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文・解説=渡辺 芳郎(わたなべ・よしろう)さん
鹿児島大学法文学部人文学科教授。専門は近世・近代窯業の考古学的研究。日本考古学協会・九州考古学会・鹿児島県考古学会会員。鹿児島陶磁器研究会会長