【陶器】
サンゴに覆われつつある陶器
沖縄の拠点となる「那覇」の西方30〜40㎞の洋上には、大小20余りの島々からなる慶良間諸島がある。2014年3月、「慶良間諸島国立公園」として日本で31番目の国立公園に指定され、その広大な海域の面積は国内最大とされる。この国立公園を擁する風光明媚な座間味村では「世界が恋する海」のキャッチフレーズをメッセージとして世界に発信し、さらなる環境保全に取り組んでいる。そして、座間味島には「阿護の浦」という港湾があり、海底には琉球の歴史を伝える水中文化遺産「阿護の浦海底遺跡」が存在する。この海域は、琉球王国の進貢船(中国との交易や使節の派遣に使用された官船)が風待ちのために利用した港であり、進貢船を係留したと伝えられる「とうしんぐむい(唐船小掘)」と呼ばれる深場もある。17世紀に江戸幕府が作成した「正保国絵図」にも港として記載されており、清朝時代の中国が作成した「奉仕琉球図」という絵巻にも「阿護の浦」と見られる港で冊封使船(新しい琉球国王が即位する時、それを認める勅書を持った中国側の使節を乗せた船)が風待ちをしている様子が描かれている。このことは、この海域が琉球王国と中国とを結ぶ航路上に存在する重要な港であったことを示している。
そんな歴史を証明するように、海底からは15世紀〜近世・近代に至るまでの多時期・多種多様な陶磁器が数多く発見された。
【甕】
口の部分が割れて無くなっていた
【水甕】
巨大なな水甕も見つかっている
【付着物】
陶器の底部には付着物が多い
中でも15世紀頃の中国陶磁器の存在は、この海域が少なくともこの頃からすでに港として使用されていたことを示しており、歴史的な記録が物質的な資料によって裏づけられる貴重な発見であった。その他、多量に発見された陶磁器は那覇の〈壺屋〉で生産された壺屋焼と考えられ、さまざまな器種が含まれている。さらに、厨子甕と呼ばれる蔵骨器などもあった。これらは、過去に那覇から慶良間諸島や渡名喜島、粟国島、久米島などへ商品を運ぶ途中で海難事故に遭遇した琉球船の積み荷であると考えられる。阿護の浦が中国と沖縄を結ぶ貿易船の港としてだけではなく、沖縄の域内流通を支える船の港としても利用されたことを示している。
【白化粧された陶器の碗】
保存状態が良く付着物も少ないことから、長い間砂の中に埋没していたものだろう
【露出】
海底に堆積した砂から露出した陶器
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=片桐 千亜紀 (かたぎり・ちあき)さん
沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員/沖縄考古学会会員/日本人類学会会員/アジア水中考古学研究所理事/南西諸島水中文化遺産研究会副会長