【陶器壺】
沖縄産陶器壺の集積状況。大型のものも多く、状態は良好。
石垣島は八重山諸島における中心地であり、また古来より沖縄と中国やアジアとを結ぶ海上交易の中継地としても重要な島であり続けた。近年においては沖縄観光やダイビングのメッカとして誰もが知る島でもあろう。
屋良部沖海底遺跡はその石垣島西岸に位置し、2010年に地元のプロダイバーである藤井成児氏によって発見され、報告を受けた沖縄県立博物館・美術館による調査で水中文化遺産として正式に認識された経緯がある。 屋良部沖海底遺跡の歴史的な重要性は、沖縄県初の四爪鉄錨が大小7点も発見されたことにある。さらに遺跡からは複数の沖縄本島産陶器壺が良好な保存状態で発見された。四爪鉄錨とは、日本では近世江戸期に活躍した和船で利用された、先端がくさび状に4つに割れた鉄錨を指す。したがってこの遺跡は17〜19世紀の遺跡となる可能性がもっとも高く、これは近世期以降とされる陶器壺の発見とも一致する。
【鉄錨】
7号四爪鉄錨は約2mの長さがあり、これは千石船級のいかりサイズに相当する。
ところが江戸期に琉球王国として独立していた沖縄では、なぜかこれまで陸上においても四爪鉄錨が確認されたことがなかった。そこで2012年から、沖縄県立博物館・美術館や東海大学らによる共同調査が開始され、四爪鉄錨や陶器壺群の正確な位置やサイズの計測、海底遺跡マップの作成が行われてきた。さらにこの共同調査では、東海大学海洋学部で開発中の低コスト型水中ロボットによる遠隔操作での無人探査や調査記録を目的としたハイビジョン映像撮影も試みられている。
【ROV】
東海大学海洋学部の坂上憲光准教授が開発した低コスト型水中ロボット。
ところで沖縄で四爪鉄錨がまったく発見されてこなかったことは、琉球船が四爪鉄錨を装備していなかった可能性も示唆している。その場合、屋良部沖鉄錨の主は17世紀から琉球に侵攻した薩摩の船や、中国船だった可能性も無視できない。
古文書の研究からも、この屋良部沖が重要な風待ちのポイントであり、中国船の漂着や沈没した船の記録も確認された。またこれまでの調査から、現在は砂地となる遺跡海底に船本体が埋まっている可能性も指摘されており、発掘を含む今後のさらなる調査成果に期待したいところである。
【埋没品】
砂地の海底に埋まる陶器壺。この海底に船材が埋まっている可能性もある。
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
>>this is the link with your pubblication…under your Picture:
http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=小野 林太郎 (おの・りんたろう)さん
東海大学海洋学部海洋文明学科 准教授。専門は海洋考古学、東南アジア・オセアニア島嶼考古学、日本オセアニア学会理事、東南アジア考古学会運営委員、日本イコモス国内委員会会員