【壺屋焼】
密集した状態で発見された沖縄産陶器
沖縄県の石垣島から西表島の間に広がる海域は「石西礁湖」と呼ばれており、澄んだ海水と美しいサンゴ礁が発達する。しかし、この海域の特徴はそれだけではない。石垣島を中心として八重山の島々を往来する船の重要な航路となっており、八重山を訪れる人々は石西礁湖を駆け巡る船の多さに驚くことだろう。このような景観はおそらくはるか昔から変わっていない。石西礁湖は、古来から八重山の島々を結ぶ船の重要な航路として利用され続けてきた歴史ある海域なのだ。その結果、この海域には「石西礁湖海底遺跡群」と名付けられた、船の海難事故や沈没に関わる多くの水中文化遺産が発見されている。
【壺屋焼の碗】
白化粧された壺屋焼の碗。砂の中から偶然現れたものだろう
その中の1つ、石西礁湖海底遺跡群第3地点は石西礁湖内の海を生業の場とする石垣島の海人からの情報で発見された。小浜島・竹富島・黒島の中間海域、水深約17mの海底に位置する。付近には船の航行には危険な浅瀬がある。海底には那覇市の壺屋で生産された施釉陶器の碗・皿・壺・蓋、無釉陶器のすり鉢・壺などがとくに密集する場所があり、船の積み荷と推定される。さらにその付近からは残部6・5mほどの加工された痕跡を残す木造の船体の一部も確認された。断面方形の船釘の穴が残る船板もあった。透明度の高いときには海上の船から陶器の集中や、木造船体の一部を海底に見ることができる。この遺跡は船体の一部やその積み荷が発見されたことから、船そのものが沈没して形成された沈没船遺跡と考えられる。
【沈没船】
木造の船体の一部。船が沈没した証拠である
琉球王国時代、この海域には「マーラン船」と呼ばれる中国船に似た船が島々を結び、人やモノの運搬を担っていた。この沈没船遺跡は、陶磁器を積載したマーラン船が、那覇港から石垣港を経て、さらに八重山の島々へ航行する途中に石西礁湖で海難事故に遭い、船そのものが沈没して形成されたものだろう。 八重山で使用されたマーラン船などの船の形態的特徴は不明な点も多く、本遺跡はその形態的特徴を知る手がかりともなる貴重な沈没船遺跡である。
【釘穴】
方形の釘穴が残る船体の一部。船の特徴を知る手がかりに
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=片桐 千亜紀 (かたぎり・ちあき)さん
沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員、沖縄考古学会会員、日本人類学会会員、アジア水中考古学研究所理事、南西諸島水中文化遺産研究会副会長