【レンガの堆積】
海底に残るレンガの堆積 調査・記録用のメジャーが展張されている
近年、香川県沖の瀬戸内海に浮かぶ島々を舞台として、「瀬戸内国際芸術祭」が3年ごとに実施されており、人々の注目を集めている。その一つに芸術家、日比野克彦氏が提唱する「瀬戸内海底探査船美術館プロジェクト」がある。海底の遺跡を美術館に見立てたり、引き揚げた遺物を利用したワークショップを開催するなどの活動を行っている。
水中考古学研究所はそのプロジェクトに協力し、香川県の三豊市粟島の周辺海域を探査した。そして粟島の北方に位置する二面島近くで、難破したレンガ積載船を発見した。探査の発端は、粟島漁協長の浅野さんの「二面島の近くで網を入れるとレンガが掛かる」との情報による。
【カサゴとレンガ】
沈没船の積み荷とみられる赤レンガの堆積を縄張りにしているカサゴ
案内してくれた浅野さんの山立てによってブイを投入し、潜水調査を開始した。水深約22m、薄暗い海底に着くと、そこはまさにレンガの小山の真上だった。恐るべし漁師の位置感覚、見事というほかない。見つかったのはいわゆる赤レンガで、それがおよそ10mの範囲に散乱していた。海底を探査しながら二面島方面に向かうと、途中から急激に水深が浅くなり岩礁が見えてきた。そこには木製の船体や機材の一部が散乱していた。おそらく、この岩礁に船が座礁し、大破沈没したと推定される。海底のレンガはこの船の積み荷であったのだろう。そのサイズや表面に残された製作技法から、明治時代後期から大正時代にかけて生産されたレンガとみられる。
【実測中の調査ダイバー】
発見した船体の状況を水中用紙に記録している
レンガは文明開化を迎えた日本の近代建築には欠かせない建築材料として、この時期、全国各地で大量に生産された。とくに大阪湾岸や広島の瀬戸内側では多くのレンガ工場が稼働していたと伝えられ、今でもその痕跡を認めることができる。この難破船もこうした工場で生産されたレンガを運搬する途中だったに違いない。
ところで、この海域は透明度が悪く、潮流も速い。こんな過酷な環境の遺跡ではたして水中考古学と芸術のコラボレーションは成功するのだろうか。この秋には、粟島の海岸にその結果が示されることになる。
【金属製品】
岩礁で発見された金属製品。船の装備品の一部とみられる
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=吉崎 伸 (よしざき・しん)さん
1957年、岡山県生まれ。現在、京都市埋蔵文化財研究所調査課長。その傍らNPO法人 水中考古学研究所理事長として、坂本龍馬の「いろは丸」など水中遺跡の調査・研究に携わっている。