富士五湖のひとつで西端に位置する本栖湖は最大水深121.6mと、五湖の中で最も深い湖である。竜ヶ岳などの山々に三方を囲まれ、唯一開けた南方には度重なる富士山の火山活動により溶岩流が押し寄せている。本栖湖は「古剗(こせ)ノ海」という西湖、精進湖と連結した巨大な湖であったが、富士山の溶岩流の流入により本栖湖と「剗ノ海」に分断された。平安時代の864年(貞観6年)には、「剗ノ海」に溶岩流が流入して西湖と精進湖に分かれ、現在の富士五湖の原形ができあがった。この貞観の噴火の溶岩流は本栖湖にも流入したことが『日本三代実録』に記録されている。現在も西湖、精進湖、本栖湖は地下で水脈が連結しており、水位の増減が連動している。
【壷形土器】
古墳時代前期の壷形土器の大部の破片。 球胴形を呈すると思われる
【溶岩流】
本栖湖の湖底に流れ込んだ富士山の溶岩流の直上で土器が確認された
本栖湖南東岸の、沖合い50~100mにあたる水深5~10mの水域には、縄文時代及び古墳時代の土器が水没していることが知られ、1998年(平成10年)には旧上九一色村教育委員会が村内遺跡の詳細分布調査の一環で水中考古学の調査を実施し、多くの土器片を引き揚げている。土器の大半は古墳時代前期初頭に位置づけられるもので、5世紀の前半頃の所産である。長年水中に埋蔵され水流の影響により表面は劣化しているものの、多くの土器片は器形を留めた状態で検出された。現状では、遺物の発見は報告されているが、遺構の有無については未調査である。遺物のみ検出される状況から、湖畔に展開した集落遺跡が廃絶した後、しばらく時間が経過してから富士山の溶岩流が本栖湖に流入し、水位上昇を生じさせて遺物が水没したと推測される。また、水辺に祭祀具として土器が供えられた可能性もある。本栖湖は、甲府盆地で大規模な古墳時代の墳墓が形成された曽根丘陵地域と駿河湾を結ぶ後世の中道往還の沿道にあり、古墳時代の文化の移出入や物資の輸送に伴い中継地点として栄えていた地域と推測される。時期は断定できないが、平安時代の「貞観の噴火」による青木ヶ原溶岩流の流入が本栖湖の水位上昇を生じさせ遺跡を水没させたと考えられる。
【高杯】
古墳時代前期(5世紀前半)の高坏の脚部で、上部は欠損している
【甕形土器】
古墳時代前期の甕形土器の一部(頸部か)と推測される土器片
考古学3つの原則
遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」
考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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文・解説=杉本 悠樹さん
富士河口湖町教育委員会生涯学習課文化財担当所属/日本考古学協会員/山梨県考古学協会員