サンゴ礁の生活世界
初めて沖縄の海に潜ったとき、東京育ちの私はサンゴ礁の美しさやそこにいる生き物の多さに驚きました。同時に、こんなにもたくさんの生き物と関わってきた/いる島の方々の暮らしがどのようなものだったのかということを想い、愕然としたのを覚えています。
サンゴ礁は、熱帯の海で石灰質の骨格をもつ生物が築いた地形です。地形学的には、沖縄のサンゴ礁のほとんどが「据礁」と呼ばれます。島の周辺を縁どる据礁は、外洋側に位置する「礁嶺」(リーフ)と、その内側の浅い水域である「礁池」によって構成されます。一方で、沖縄の島人たちの生活世界である地先の海は、現地の言葉で“イノー”(≒礁池)とも呼ばれます。たとえば、石垣島の人々は、干潮時に現れる道“ワタンジ”を通ってそこで“ギーラ”(シャコガイ)やタコ、ウニを捕っていました。また、“ピー”(≒礁嶺)での投げ網漁では外海からイノーに入ってくる魚影を見極め、イノー内での刺し網漁では、潮の干満に合わせて移動する魚群の通り道を心得ていたといいます。
地形学と現地の言葉の対比から浮かび上がるのは、「サンゴ礁」への関わりかたの違いではないでしょうか? 私は石垣島の方々への聞き取りを通して、サンゴ礁に向けられるまなざしのあり方について研究を進めています。
文化? エコ?
私は、まず石垣島のエコツーリズムをめぐる現状に興味をもちました。「エコツーリズム」は一般に、“自然保護に貢献するような自然志向型の観光”を指すと言われます。しかし、ある島の人が“文化”と“エコ”、そして“島んちゅ”と“移住組”という言葉を対比させていたことにびっくりしました。これらは相いれない、あるいは対立するものとして考えられているのでしょうか? その背景について調べていくと、島の人とそこに移り住んだ人々の間にすれ違いがあることがわかってきました。
一方で、“自然保護がんばってくれているのは移住組が多い”という島の人の言葉もよく耳にしました。実際に、美しい島の自然に惹かれて移り住んだ人たちの多くが、自然保護活動やエコツーリズム事業に積極的に取り組んでいるのです。ではなぜ“文化”と“エコ”が対比されるのでしょうか?
現地の方々との対話のなかで、自然保護やエコツーリズムに関する事業には地形学・生態学といった自然科学系の知識が求められることが多く、自然と関わるための知識や技能(民俗知識)が活かされる場面は意外にも少ないことがわかってきたのです。そしてそのことが、“文化”と“エコ”、“島んちゅ”と“移住組”という構図を生みだす背景の一つである可能性が浮かび上がってきました。
名蔵での座談会の様子。車座での歓談は1時間以上にも及びました。
対話が紡がれる場所
ところで、「サンゴ礁学」のプロジェクトのなかで、これまで幾度も研究成果公開のための講演会が実施されてきました。私はエコツーリズムと同時に、これら研究者によるアウトリーチ活動の調査も進めています。
私が関わってきた人文社会科学班による石垣市名蔵という地域の歴史に関する講演会は、2010年から現在に至るまで計4回にわたって行われてきました。そこには毎回島の人、移住者の人を含め農家、郷土史家、エコツーリズム事業者など数十名の方々が来場してくださいます。昨年8月の講演会では、ご来場いただいた方々と講演終了後に車座になって歓談する機会をもちました。そこでは立場や職業を異にする多様な方々が、昔の風景や暮らしを楽しそうに語り合う様子が印象的でした。
このように、研究者のアウトリーチ活動には人々の対話を促す可能性があります。とても難しい課題ではありますが、こうした対話の場に身を置きながら、“文化”と“エコ”といった対比を越えた、人と自然の新たな関係の模索に関わっていけたらと思い、研究を進めています。
サンゴ礁学事務局へのお問い合わせ
メール:admin@coralreefscience.jp
サンゴ礁学ホームページ
文=下田 健太郎(慶應義塾大学大学院 文学研究科 後期博士課程)
應義塾大学大学院にて史学の修士号を修得。これまでに熊本県水俣市や沖縄県石垣市をフィールドに、環境問題の歴史に関する文化人類学的研究を進めてきている。
【月刊ダイバー2012年5月号に掲載】
「サンゴ礁学とは?」
文部科学省の科学研究費の支援を受けた研究プロジェクトです。人とサンゴ礁が共生する社会を構築するための学術的な基礎をつくることを目的に、生物学・化学・地学・工学・人文社会学など、さまざまな分野の研究者65名が連携して研究を行っています。この連載では、サンゴ礁学の博士研究員や大学院生から成る「サンゴ礁学若手の会」が、それぞれの研究や専門分野における最新の研究情報をお伝えし、サンゴ礁の不思議を調べる研究の醍醐味をお伝えします。