――テレビ「マツコ会議」で滝行を行っていましたが、いつからはじめたんですか?きっかけも教えてください
もともと生まれ育った環境は静岡県の富士山のふもとの御殿場市。野生動物も見かけるし、自然いっぱいの環境で小さな頃から自然と親しんだりしていました。
近くには滝があって真冬の寒い滝の水を全身に浴びることで、ある種達成感を味わう目的もあって、滝行を行っていました。
何かの宗教かと思う方もいらっしゃいますが、私は無宗教なので、そうではないんですよね。
大晦日には滝行をしたあと、富士山の頂上にのぼって、初日の出のご来光を見て新年を祝うこともあります。
――Instagramにはバイクで日本を横断したり、柔術をやったりパラグライダーやったり。いつからそんなことに興味を持つようになったんですか?
子どもの頃「鳥は空を飛べるのに、私はなぜ飛べないんだろう」と不思議とそんなことを考えていました。
カラスの羽を集めても飛べない。「じゃあ、傘なら飛べるかも」小学生のときにそう思いついて、体育館の屋根から傘を持って飛び降りてみたり。
もちろん両足骨折しましたよ。ジャンプしてすぐ、無情にも傘は逆側に閉じてしまったんですよね。だから次は大きなパラソルを用意して、傘部分を補強しましたがやっぱりダメで、また骨折。
あるとき、自衛隊の夜間演習を見かけたんですが、パラシュートで落下しているんです。「これだ!」と思いパラシュートに似せたものを用意し、再チャレンジしてみたら、なんとついに骨折せずに無事着地できたんです。
――すごいですね!なかなかその達成感を本気で味わいたい人もいないかと……。ご家族の影響もあるんですか?
いえいえ、うちの両親も兄弟もいたって普通ですね。一般的な家庭だと思います。骨折したときも、「なにがあっても全部自己責任だよ」と教えられました。
子どもの頃はとくに、男の子たちと遊ぶことの方が多かったですね。私は外で遊ぶことが好きで、木登りしたり秘密基地を作ったり、男の子たちと遊ぶ方が楽しいんですよ。
――真っ黒に肌が焼けていますが、海の遊びは何をされていますか?
夏は熱海の海でライフセーバーのお仕事をしています。基本的には海の遊びはすべてやります。
スクーバダイビングも本数は数えていませんが2,000本以上潜っていますし、SUP、サーフィン、スノーケリングも大好きです。
特殊小型と船舶一級のライセンスも持っているので、スノーケリングやダイビングのほかには、ジェットスキーや船を出して船遊びもします。サーフィンでは千葉や宮崎の日向にも行きますね。
パイロットのライセンスを日本で取得しているGaru chan
――さすが、冒険家ですね!ダイビングはどこに行くんですか?
静岡県出身なので、やっぱり伊豆の海が好きで、中でも西伊豆・堂ヶ島は特に好きです。
他には宮古島。ダイバーにもいろんなタイプがいますが、私は地形ダイビングが大好きなので、宮古のアントニオガウディとか、ハートになっているような場所が好きですね。あとは沈船とかも大好きです。
――Instagramのコメントで見かけましたが、以前はOLをしていたんですか?
高校を卒業して、アメリカ・ワシントンにある大学に進学し、最初は英語もままならなかったのですが、無事卒業して帰国しました。
ある外資系企業に入社し、同僚は外国人ばかりなのに、日本のブラック企業以上のブラック企業でした。
眠る時間も休憩時間もほとんどなく働くことになり、夢見ていたことと現実のギャップから大きなストレスを抱えるようになりました。
疲労骨折と診断されてお医者さんから入院しろ、と言われました。ただ、仕事が忙しすぎて同僚にも迷惑がかかると考えて、半日で病院から抜け出して職場に戻りました。
――大変なストレスでしたね。その後もお仕事続けたんですか?
その後もその職場では働きました。でも多忙が続き、あるとき過呼吸になってしまって、救急車で病院に運ばれました。以前抜けだしたこともあり、テレビしかない個室に入れられました。
――いよいよ入院したんですね?
はい、身体も思うように動かせず、私物のいっさいもなかったので、自分の生活について考える時間がありました。
身体まで壊してこんな生活もういやだな、自分のイメージと現実には埋められない大きな差があるし……、自分の存在価値ってなんだろう、もう消えてしまいたい、など考えるのはネガティブなことばかり。
――相当、病んでいましたね
今思うとその当時は闇が深かったですね。
病院でテレビをつけたとき、たまたま放送していたのはインドの死についてのドキュメンタリー番組でした。ガンジス川での埋葬の光景を見た瞬間に、私はここに行く運命なんだ、インドに呼ばれているんだ、インドに行かなきゃ、と思いました。
それで退院したら会社を辞める決断をして。あんなにためらっていた退職なのに、辞めるとなったら書類の手続きをするだけで。
これまでにあったすべてのことを切って、家族にも言わず、片道チケットだけを買って、インドに向かいました。
――その行動力もすごいですね。病んでるんだか実は前向きなんだか
そのときはガンジス川を目指してましたね。でもインドに着いて、結果、すべてのネガティブな気持ちが消え去りました。
理由はカースト制度を目の当たりにしたこと。商人の子は一生商人、物乞いの子は一生物乞いでしか生きられません。
物乞いの人は大人になると食べられないので、最終的に自分の手や足を切ったりして、こんな自分にどうか恵んでください、と物乞いをして生きています。国外なんてもちろん自由に出られませんし、そもそも人生に選択肢などないのです。
そんな光景を目の当たりにして、インドにも来れて、人生を選べる私の悩みなんて本当にささいなことだった、甘えていたんじゃないかと思うようになりました。
――何とか前を向けてよかったですね。そこから日本に帰国したんですか?
いえ、インドに3ヵ月ほど滞在して生きる活力をじゅうぶんにいただき、そのまま地球を巡る旅に出ました。
――地球2周の旅のはじまりですよね?どこに行かれたんですか?
カトマンズからネパールへ、空港で書類申請だけで取得できるアライバルビザで入国しました。日本のパスポートは信用があるので、旅しやすいです。
そのあとは、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、マレーシア、インドネシアをまわって、中東へ向かい、ヨーロッパを巡りました。
ヨーロッパからドーバー海峡を渡ってモロッコへ、そこからエジプトに入国しました。
――エジプトから日本に帰国したんですか?
いえ、その後アフリカ・ガーナ周辺の国、ケニア、ウガンダ、ルワンダ周辺国、そしてナミビア、南アフリカと移動し、マダガスカル島に行きました。
マダガスカル島から南アフリカに戻り、南大西洋を横断して南米・チリに入国しました。南米を北上して中米に行き、最後北米をぐるぐると巡っていました。
そんなとき、エジプト・ダハブの日本料理屋のオーナーからどうしても店をついで欲しい、とFacebookで連絡が来て、いったん日本に帰国してから、再びエジプトに向かいました。
――エジプトに戻ったんですか?
以前2~3ヵ月くらい旅して滞在していましたが、タバブの日本食レストランの80代のオーナーが日本に帰国したいけど、駐在日本人の憩いの場であるこのお店を閉店するのは忍びない、なんとか後を継いでもらえないか、と懇願されていたのです。
大好きなイスラエルが近く、海もきれいだし、ごはんもおいしいし、人も良かったので。
まあそのときはノリで引き受けました。
従業員も雇っていましたが、最後は2011年から起こった「アラブの春」によってお店は全焼してしまいました。周囲は火で真っ赤でした。
日本大使館より、日本人は反政府デモが行われているエジプトや中東・北アフリカ地域から出るように、という通達もあって、エジプト国外を出ました。
――そのまま日本に帰国したんですか?
「アラブの春」はすごく大変でしたが、そのまま日本に帰るのがしゃくだったので、日本に帰国せず世界2周目の旅に出ました。
――世界をめぐる旅、飛行機代とか旅費がかさんだのでは?
1度目の旅では飛行機をほとんど使っていません。現地の人しか乗らない乗り合いのミニバンとか徒歩、ヒッチハイクですよ。
海の移動は漁船ヒッチハイクです。
今年もストーリーズにあげましたが、ヨーロッパからアフリカまで、実際漁船で行きました。船の作業をお手伝いしながら、乗せてもらうんですよ。
――最初の旅ではご家族には連絡しないで旅立ちましたが、その後も連絡しなかったんですか?
いえいえ、スマホも持ってなかったので、どこかの国に行くと絵葉書に「生きてます From 〇〇(国名)」だけ書いて、両親に送っていましたね。
世界2周の旅は1度日本に短期間帰国したのも入れて通算約6年、いろんな場所から家族にはがきを送りました。
今実家の壁には、私から届いたいろんな国のポストカードがびっしり貼ってありますよ。
――中東やアフリカの英語って強いアクセントがあってネイティブでも苦戦しますが、よく会話できますね
英語では話しませんね。中東ではカタコトのアラビア語で、アフリカではフランス語が通じるので、カタコトのフランス語で会話します。
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――通算約6年の世界2周旅行、ダイビングで良かった海TOP5を教えてください
チリのイースター島
海底に沈む水中モアイは唯一無二のダイビングスポットだと思います。観光はモアイ像くらいしかないので、ナイトダイビングを含めて1日2本~4本、たくさん潜りました。
もう一度行きたいですが、チリからの小型飛行機はなかなか予約が取れず、行くのが大変な場所です。宿がほとんどなく、キャンプする場所にテントをはって9日間ほど滞在しました。
ベリーズ
世界最大のグレートブルーホールは、吸い込まれそうな景色のとりこになります。ここは入国税が本当に高く物価もちょっと高いのですが、3日間ほどの旅で2回行きました。
エジプト・ダハブ
沈船やトイレなど、いろんなものが沈んでいるのと、小さいのですがここにもブルーホールがあっておすすめの場所です。それにジュゴンと泳ぐこともできる、なかなかない場所ですね。エジプトに住んでいたので、ここではたくさん潜りました。
地中海全般
イタリアやマルタ、チュニジアに面していますが、透明度の高さが魅力です。エジプトに住んでいるときには短いお休みを利用していろんな場所で潜りました。
メキシコ
メキシコには海も街も、遺跡もたくさんあって魅力がいっぱい。2ヵ月くらい滞在しました。セノーテでケーブダイビングのライセンスを取得しました。カンクンなどいろんな場所で潜りましたが、地中海も透明度は良いですが、カリブ海はもっと透明度があり、幻想的な光景が広がります。
プロフィール●Garu chan(がるちゃん)
静岡県出身の女性冒険家。滝行を行う姿が放テレビで放映され、一躍有名に。Life is journeyを合言葉に日本各地や世界各国を旅する。船舶一級、パイロットのほかに温泉ソムリエの資格も持つ。
写真:DIVER編集部