【西欧型鉄錨】深約26mの海底に今も沈む西欧型鉄錨。左右に開いた爪の部分が海底面に刺さるはずだが、海底面が固い岩盤となっているために、本来の機能と異なり、爪が海底面に対して並行に固定されている
与那国島は日本最西端に位置する国境の島であり、海を流れる黒潮の激流を越えた西のかなたには台湾が迫る。島の最西端には「久部良」という集落があり、日本最後の夕日を眺めることができ、晴れた日には巨大な台湾の島影が海のかなたに姿を現す。東南アジアや中国から台湾を経て島伝いに海を越えて琉球、そして日本を目指す際に、もっとも初めに目にすることになるのがこの与那国島である。
この久部良集落南岸の海底で西欧型鉄錨が発見された。いわゆる「ストック・アンカー」と呼ばれ、古い時代から西欧の帆船で使用された。先端部に左右に開いた2つの爪を持ち、直交するようにストック部分が設けられる。ストック部分は木製のタイプとストックが鉄製のタイプがある。鉄製のタイプはストックをシャンクと並行に収納することができる。これは、船に装備されている際に、無駄な空間を多く必要とする木製のストックに対して、大変な空間の節約になる。
【生物の住処】
ストック部分にはさんごが付着し、魚が住んでいる。この鉄錨が長い年月、この海底に固定されていたことをうかがわせる
江戸時代の日本では先端部に四本の爪を持つ「四爪鉄錨」と呼ばれるいかりが巨大な和船に使用されていた。また、琉球王国では、中国へ渡る進貢船は木碇と呼ばれる木のいかりが使用されていたようだ。西欧型鉄錨の存在は、和船や琉球船ではない船が、与那国島近海を航行していたことを示唆する。
琉球王国では、18世紀後半から、「異国船」と呼ばれる西欧船が王国内の海に頻繁に姿を現し始めた。西欧列強の進出である。まさに南の玄関口である与那国島西端の海底に沈むこの西欧型鉄錨の存在も、そのような時代の流れと無縁ではないだろう。
【鉄錨の位置特定】
鉄錨の位置座標を、GPSを利用して海上から計測するため、鉄錨を中心に小さなブイを浮かべようとしたが、
流れのすさまじさにブイが海上に浮かばなかった
じつは、この鉄錨が沈むポイントは「西崎」と呼ばれ、多くのダイバーが憧れるハンマーヘッドの群れが現れる海域である。与那国島を訪れハンマーヘッドを狙いつつも、水深約26mの海底に今も沈んでいる鉄錨を見つめ、かつてこの海を航行したであろう、船の姿に思いをはせてみるのはいかがだろうか。
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
>>this is the link with your pubblication…under your Picture:
http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
>>月刊ダイバーで連載中
文・解説=片桐 千亜紀 (かたぎり・ちあき)さん
沖縄県立博物館・美術館 主任学芸員/沖縄考古学会会員/日本人類学会会員/アジア水中考古学研究所理事/南西諸島水中文化遺産研究会副会長