沖縄本島那覇市の西方約100kmに位置する久米島は、「球美の島」と呼ばれ、美しい自然と豊かな水に恵まれた島として知られている。
歴史的には古くから中国や沖縄本島などの各地域と海上航路を通してさまざまな交易を行っており、とくに、琉球王国(15世紀前半〜19世紀後半)成立以前より、貿易の玄関口として利用され重要な役割を果たしていた。久米島の東側にあるオーハ島沖海底遺跡では14世紀後半から15世紀前半、ナカヌハマ沖海底遺跡では12世紀後半から13世紀前半、16世紀後半から17世紀前半頃の中国陶磁器などが見つかっており、中国船をはじめ多くの交易船が往来していたことがうかがえる。
【切り出された石材1】
石切場跡には運ばれずに残っている柱状の石材が今でも残っている
このように古い歴史を持つ久米島の中に異色の遺跡がある。久米島空港北側にある「北原海岸の石切場」で、久米島の水中文化遺産の1つとして知られている。
【切り出された石材2】
工具を使って切り出された階段状の切り出し跡1(満潮になると海側の一部が水没し、海水魚が泳ぐプールのようになる)
石切場のある海岸から島の西部石灰岩丘陵一帯が通称「アナガー(名称の由来は不明)」と呼ばれ、戦前までサンゴ石灰岩の石材を切り出し、屋敷周辺の石垣や柱、井戸、豚小屋などのさまざまな建築石材として幅広く使われていた。戦後はコンクリートの普及や生活様式の変化により、石材は利用されなくなった。島内には5か所ほど石切場があるが、北原海岸の石切場が最も規模が大きく、現在でも工具を使って切り出した痕跡が残っている。また、石切場に関する記録が少なくはっきりしないが、明治後半頃から本格的に採掘が始まったのではないかと考えられている。
【掘り込み跡】
工具を使って切り出された階段状の切出跡2(石を切り出した時の痕跡が残っており、深いところで約2mほど)
石切場東側に約7・5mの水路があるが、聞き取りによると切り出した石材は、荷馬車により運搬されたといわれている。50年にも満たない短い期間だが、広大な範囲で石切場跡が海に沈んでいる様子は、海底に沈む水中遺跡のようで興味深い。
【水路】
海から石材を運んだといわれる石切場跡に隣接する水路
沖縄県内では海岸地域で護岸整備などの地形改変により失われているなか、現在でも往時の石切場の様子をうかがい知ることができる貴重な遺跡である。
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」
考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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文・解説=中島 徹也さん
久米島町教育委員会 久米島博物館学芸員/別府大学卒業