琵琶湖に眠る水没集落 水中考古学 Vol.29

陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。第29回目は滋賀県長浜市祇園町沖、琵琶湖。琵琶湖の湖底には、かつて存在したとされる集落・西浜村が沈んでおりその実態などが次第に明らかにされつつある。

長浜市祇園町沖の琵琶湖湖底には、「かつて西浜村という集落が存在したが、ある時、大地震によって湖底に沈んでしまった」と伝承が残されている。しかし時期については室町時代の寛正(かんしょう)年間(1460~1466)や江戸時代の寛文2年(1662)など諸説あり、実態は不明であった。

調査は2011年から始まり、遺跡は大きく3時期に展開することが明らかとなっている。

【水深50㎝】
湖岸から僅か数メートルの位置に、人知れず遺跡が眠る

まず8世紀を中心とする時期には大規模な河川が存在し、一帯に広大な三角州が形成された。この時形成された陸地を舞台に、後の時代に人々が活動することとなる。

【井戸状遺構】
内部は13世紀の土器を含む土で埋められ、人為的に廃棄されている

12世紀前後には、東海地方で焼かれた山茶椀と呼ばれる陶器が大量に出土し、一部はすずりとして利用された。死後の極楽浄土を願い造営された経塚に関わる遺物もあり、宗教空間が広がっていたと考えられる。古文書からは、当時の遺跡周辺は祇園神社の所領となっていたことが知られ、管理を担う地方官僚らがこうした活動を行ったのだろう。

【五輪塔(空風輪)】
南北朝時代に作られたものを、後世に転用した。砂岩製の仏塔の部材

15世紀以降の遺物には、古瀬戸や土師器の皿、越前焼や信楽焼のすり鉢をはじめとした陶器類や石造物など、バリエーションがある。これらは一般的な集落遺跡から出土するもので、伝承の西浜村に関わるものと考えられる。ここから、水没伝承の実態について考えてみたい。

15世紀に成立した西浜村は、16世紀末を境に痕跡が確認できなくなる。よってこの頃に集落が湖底に没した可能性が高い。こうした影響を及ぼす原因として、想定されるのが天正大地震(1586年)である。古文書に『大地が割れ、家屋の半ばと多数の人がのみ込まれた(フロイス日本史)』とあるように、大規模な地盤沈降により集落が湖底に没したのだろう。

【阿弥陀如来坐像】
中世末に造られた小型の石造物。墓地に備えられたもの

数ある伝承も、本来は天正(てんしょう)であったものが、寛正(かんしょう)へと転じ、更に寛文(かんぶん)へと、次第に変化したと考えられる。

推定される遺跡の範囲のうち、調査が終了したのはまだ僅かな水域にすぎない。今後の調査により、水没集落の実態がより明確になるだろう。

考古学3つの原則

「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」

考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp

写真=山本 遊児さん

水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員

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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr

 

文・解説=中川永さん

豊橋市文化財センター/アジア水中考古学研究所会員/琵琶湖水中考古学研究会代表

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Takeuchi

DIVER ONLINE 編集部

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