琵琶湖に面する水城・坂本城 水中考古学 Vol.33

陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。第33回目は滋賀県の大津市。大小2つの天守をもつ巨大な城だった坂本城。遺構の大半は既に破壊されているが、渇水期に水位が下がると湖面から石垣が現れる幻の城となっている。

【石造物】
「一石五輪塔」と呼ばれる仏塔の破片。

明智光秀の居城として著名な坂本城は、滋賀県大津市に所在する。中世の坂本は、延暦寺の門前に開けた町であり、多くの港を抱えることで、物資運搬や京都へ向かう交通の拠点として繁栄していた。とくに金融業者である酒屋や土倉、運送業者である馬借や車借は大きな力をもち、ときに一揆を起こすなど当時の権力者をも脅かす存在となっていた。元亀2(1571)年、比叡山延暦寺を焼き討ちした織田信長は、明智光秀に坂本城を築かせ、この地を支配した。これにより信長は、琵琶湖の制海権と陸上交通の掌握を目指したのである。宣教師、ルイス・フロイスの記録に「安土城に次ぐ豪華壮麗な城」と伝えるように、天守を有する大規模な城郭であったと考えられるが、しかしその構造や規模についてはいまだ不明な点が多い。

【湖中石垣】
当時の湖岸部に築かれた石垣の最下部構造。棒状のものが胴木。

坂本城の特徴の1つとして、琵琶湖に面した水城であるという点が挙げられる。とくに本丸部分は湖中に突出していたものと考えられ、今回取り上げる遺構・遺物は、いずれもその周辺で確認されたものである。

【陶器類】
信楽焼の破片と考えられる。

水中に散布する遺物の多くは、信楽焼や越前焼のすり鉢かめや、瀬戸美濃焼や土師器の皿、瓦などである。湖岸部の発掘調査では、本丸において城主の邸宅跡が確認されていることからも、その生活に関わる遺物である可能性が高いだろう。また、石垣遺構の下部構造として、「胴木」と呼ばれる丸太材を確認することができる。湖中に石垣を構築する場合、軟弱な湖底地形に直接石材を置くと、それぞれの材が不同沈下を起こし、結果、石垣の崩壊を引き起こしてしまう。このため胴木の上に石材を配することで、それぞれの材に掛かる負荷を均一にする効果を狙ったのである。

【土器を指さすダイバー】
透明度はきわめて悪く、目視での調査は困難である。

坂本城は築城からわずか15年後の天正14(1586)年に廃城となり、その資材の大部分は大津城へ移転された。現在では、古絵図や地元の伝承などに断片的な姿を伝えるばかりである。よって湖中に残された石垣の痕跡は、当時の姿をとどめる遺構として貴重なものといえよう。

【土師質土器】
食べ物を煎る焙烙の破片か。

考古学3つの原則

「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」

考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp

写真=山本 遊児さん

水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員

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文・解説=中川 永さん

豊橋市文化財センター/アジア 水中考古学研究所会員/琵琶湖 水中考古学研究会代表

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Takeuchi

DIVER ONLINE 編集部

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