東南アジアの商船が眠る山見沖遺跡 水中考古学 Vol.35

陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。第35回目は長崎県の小値賀町。海底から中国製やタイ製の磁器が発見されており、平戸貿易時代の商船またはその積み荷が沈没した場所と考えられている。

考古学と民俗学の国際研究所(IRIAE)は、アジア水中考古学研究所(ARIUA)と日本財団の協力を得て、2000年代初めにARIUMAが発見した、山見沖海底遺跡を中心とした小値賀島と野崎島を隔てる幅約1.5kmの海峡の中の13,800㎡を調査エリアと決め考古学的調査を行った。

砂の層の下に陶器の露頭

技術的な観点から見ると、 海岸から150m沖は火山岩に覆われており推進15m。そこから先が岩礁を含む砂地になるが最大深度は約30mしかなく、そのための強い流れがこの海峡に発生し調査を困難なものにした。

タイ製の4つの小さな耳の壺

調査においては、北に向かうにつれ大きな遺物はなく、すでに発見されている種類の類型に属する陶器の断片がいくつかあったのみである。南東に向かうと大きな遺物はじょじょに減少している。

陶器断片の測量

それらの調査の結果、船が沈んだ地点は岩礁地帯の海岸に非常に近い場所であり、おもな遺物は16〜17世紀のタイの陶器であり調査域の南東部に多い。それは沿岸の流れによって船が破砕し遺物が岩礁地帯にひっかかるようにこの海岸に残っているのである。大阪城の発掘において同類のタイの壺が1625年の地質から発見されているので、それは今回の発見とほぼ同時期と考えられる。それらの壺を積んだ九州に行く東南アジアの商船は3つの目的地を持っていた。徳川幕府が他の国と交易をした「平戸島」。九州でもっとも重要な町で大きな港もある「博多」。そして、「沖縄」である。

調査グリッドを作成

なぜこの船が沈没をしたかは、調査地域と遺物数に基づいて考えていくが、船の沈没が台風によるものなのか、他の原因によるものなのかはまだはっきりしていない。その答えは今後の調査と遺物の分析によって見つけることができるであろう。調査チームでの理論ではこの沈没にはこの海域の強い流れが影響を与えたと考えている。

遺物の発生率と調査地域

今後、この種の調査は日本が鎖国時代における他国との文化的商業的交流の歴史に新たな光をもたらす研究であることは容易に考えられる。

考古学3つの原則

「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」

考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp

写真=山本 遊児さん

水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員

>>this is the link with your pubblication…under your Picture:
http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr

 

文=Daniele Petrellaさん

考古学と民俗学のための国際研究所(IRIAE)所長。ナポリ大学で考古学(日本の考古学と東洋と西洋の関係)の博士号取得。2014年ロトンディ賞「世界芸術の救世主」を受賞。

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Takeuchi

DIVER ONLINE 編集部

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