水中写真家という生き方 峯水 亮
海の世界に魅せられて、写真という表現方法でその神秘性と美しさを追求することを生業にしている稀代な人たちがいる。水中写真家という職業。水中という制約の多い世界で時には危険と隣り合わせになりながらも、彼らが海中という舞台にこだわる理由とは? 独自の世界観を持つ水中写真家たちのインタビューを通し、そのバックグラウンドと思想に迫る注目連載。第3回目は、近年、人気急上昇中の被写体である浮遊生物を長年追い続け、昨夏、クラゲをテーマにした前代未聞の大図鑑を上梓した峯水亮。1つのテーマを深く濃く追求するという比類なきスタイルを持つ、彼の数奇な写真家人生を辿った。 文・人物撮影=曽田 夕紀子
みねみず・りょう
1970年大阪府枚方市生まれ。西伊豆・大瀬崎にてダイビングガイド・インストラクター経験を経た後、1997年に水中写真家として独立。以来、主に浮遊生物を中心とした海洋生物の撮影に取り組んでいる。数多くの児童向け書籍やTV番組などに写真及び映像を提供しているほか、著書に「ネイチャーガイド-海の甲殻類」「日本の海水魚466(ポケット図鑑)/共著」「サンゴ礁のエビハンドブック」(いずれも文一総合出版)、「デジタルカメラによる水中撮影テクニック」(誠文堂新光社)など。執筆を担当した書籍に「世界で一番美しいイカとタコの図鑑」(エクスナレッジ)などがある。2015年には18年間の浮遊生物撮影記録をまとめ上げた第1弾の集大成として「日本クラゲ大図鑑」(平凡社)を刊行。さまざまな浮遊生物を観察できるイベント「ブラックウォーターダイブ」を国内外で開催中。
それはまるで海に漂う宝石。あるいは、宇宙の果てから流れ着いた小さな異星人。クリスタルな輝きと、繊細にして完璧な機能美をあわせ持つ、浮遊生物(プランクトン)という摩訶不思議なクリーチャー。近年、その途方もない美しさと神秘性があらためて注目され、浮遊生物の鑑賞を目的にした新しいダイビングスタイルが、コアなダイバーを中心に全国的なムーブメントになりつつある。一般的なナイトダイビングとは異なり、水中にライトを設置してその光に吸い寄せられて集まってくる浮遊生物や稚仔魚たちを狙い待つ、ブラックウォーターダイブ1※。その仕掛け人である峯水亮は、浮遊生物が放つ幽玄な魅力に長年心を奪われ続けてきた水中写真家である。現在は個人的な撮影のみならず、各地のダイビングサービスと協力してブラックウォーターダイブを監修、開催。百戦錬磨の本人をして「毎回と言っていいほど、初めて見る生き物に出会える」といわしめるほどロマンあふれるダイビングは、参加者の心を百発百中、鷲づかみにしてしまうという。今や多くのダイバーの熱視線を集めている浮遊生物だが、峯水がその奥深き世界に足を踏み入れたのは1997年の頃に遡る。奇しくも、大瀬崎で現地ガイドを務めていた峯水が水中写真家として独立を決意したその年に、浮遊生物の代表格であるクラゲの撮影に成功したのがきっかけだった。
※1 「ブラックウォーターダイブ」は峯水の登録商標。生き物への負担が最小限になるよう、ライトの仕掛けかたにもこだわりを持っている
18年間追い続けた浮遊生物という宝石。
「当時は、銀塩フィルムの時代。魚を撮るときと同じようにクラゲを撮ってみても、現像してみると全然写ってなくて失敗の連続だった。透明感のあるクラゲは、適正露出が部分的に異なっていて、最初はうまくコツがつかめなかったんです。でもある時、すごくキレイに撮れたことがあって。確か、ハコクラゲの一種だったと思うんですけど、現像から上がって来た写真を見たら、緑色に光っていてガラス細工のように美しかった。感動して、思わず見入ってしまいましたね」
以来、クラゲの美しさに取り憑かれ、撮影を続けること18年間。昨夏、その集大成とも言えるハードカバーの大型本「日本クラゲ大図鑑」を上梓した。A4変型サイズで360ページという特大ボリュームの紙面には、約350種900点余りのクラゲとプランクトンを掲載。そのうちなんと半数近くが、初めて世に紹介されるクラゲたちだという。くわえて、専門家による詳細な解説まで記された本書は、日本初の本格的なクラゲ専門書であると同時に、世界的に見ても学術書として非常に高い価値を持つ。いっぽうで、写真集としての魅力も筆舌に尽くしがたく、ページを捲っているとまるで未知なる宝石カタログを見ているような錯覚に陥ってしまうほどだ。
ウチワエビのフィロソーマ幼生にとって、クラゲは遠くに運んでくれる為の移動手段。
時にはクラゲ自体が餌にもなる
魚類よりも圧倒的に偶然性が高く、神出鬼没な生き物であるクラゲ。本書のクオリティーを前にすると、深海のクラゲを除くほぼすべての写真が峯水の作品であるという信じがたい事実に、思わず目眩がしそうになる。18年間という長きにわたる制作期間をもってしても、クラゲという謎のヴェールに包まれた生き物を相手にしながら、この量と質をたったひとりで完遂してしまうなど、ある意味狂気にすら近い。「誰にでも自分にしかできないことがあると思うから、そういうことを自分も続けていきたい」という峯水の言葉通り、確かにこの図鑑は、人並み外れた探求心と猪突猛進型で圧倒的な行動力を持つ彼にしか成しえない偉業であったことは間違いないだろう。
大阪府枚方市で生まれ育った峯水は、16歳のとき、周囲の反対を押し切って地元有数の進学校を自主退学した。当時、夢中になっていた音楽活動を真剣に取り組みたいと考えたとき、高校生活がまるで無意味に思えたからだという。そして何のツテもないまま上京し、音楽の町、吉祥寺で仲間を集ってバンド活動をスタートさせた。現在の水中写真家としてのイメージからはかけ離れすぎていて、当時の彼の姿を想像するのは容易くない。しかし、自分の気持ちに正直でやりたいことに一直線という、現在にも通じるパーソナリティーを象徴する彼らしいエピソードの1つだといえるだろう。本気で取り組んでいた音楽活動だが、数年後には才能がないことを自覚し挫折。波瀾万丈な青春時代を過ごし、東京を引き上げて静岡県に居を移したのが19歳の頃のことだった。
運命を変えたダイビングとの出会いは、20歳のときだ。当時働いていた会社で上司から体験ダイビングに誘われたのがきっかけだった。ダイビングインストラクターだった上司は、週末になると大瀬崎でガイド業を務めており、峯水にとってその後も長くて深い付き合いとなる大瀬崎で、初めての海中世界を体験することになった。
「水深は浅かったけど、魚がたくさんいてまったくの別世界。こんな面白い世界があるんだって感動して。こんなに素晴らしい仕事はない、これを仕事にしようと思ったんです」
神秘的な輝きを放ちながら海中を漂うホシムシ類のペラゴスフェラ幼生。全長わずか3mmほどしかないが、その美しさに魅了される
新たな人生の目標を見つけた峯水は、持ち前の行動力でダイブマスターまで駆け足で取得。上司が経営していた大瀬崎のお店でガイドとして働くようになった。大瀬崎といえば、コアなダイバーが通年訪れる日本有数のダイビングのメッカである。当然、ガイドに求められる能力や技術のレベルも高い。しかもちょうどその頃、ダイビング業界には、新しいダイビングの楽しみ方として空前のフィッシュウォッチング(以下、FW)ブームが到来。ガイドの力量がより試される時代に突入していた。その後、元上司のススメもあり、FWに力を入れていたダイビングサービス〈大瀬館マリンサービス〉の専属ガイドになった峯水は、ほどなくしてインストラクター試験をパス。FWの技能を売りにするガイドとして、本格的に始動することになった。
「海に対してぜったい的な自信を持っていないとダメだと思っていたから、仕事も休みも関係なく潜れるだけ潜った。たぶんスタッフの誰よりも潜っていたんじゃないかな。同期のガイドとはお互いライバル心がむき出しで(笑)。競い合うように生き物を探してましたね。擬態している生き物や、それまで誰も紹介してこなかったような生き物を見つけ出してゲストに喜んでもらえることにすごくやりがいを感じてました。自分も海に潜れて楽しいし、ゲストも喜んでくれる。1度で2度おいしいというか、こんな仕事、ほかにはないよなって」
海の世界にすっかり傾倒した峯水は、馴染みのゲストから古いカメラ機材を譲り受けるとたちまち水中撮影にも夢中になった。店がオープンする前の早朝、ダイバーが誰もいない時間帯にリサーチを兼ね、潜って撮影する。それを日課のように続けた。ときには、給料を前借りしなくてはならないほどフィルム代、現像代がかさんでしまうこともあったという。海と店と家を行き来するだけのシンプルな生活。お金も時間もなかったが、峯水は満ち足りた気分だった。
「潜ることが楽しくて仕方がなかったという感じだから、自分がやっていたことはまったく苦ではなかったけれど、目標はあった。僕がガイドを始めたときにはすでに、全国に有名なガイドさんがたくさんいたんですよね。あそこだったらあの人だよねって言われるような人が。大瀬崎なら峯水だよなっていわれる存在になりたかったんです。じっさいにそういう存在になれたのかはちょっと分からないけど(笑)」
努力が実った1つの形が、雑誌での連載だ。伊豆海洋公園が発行していた「I.O.P DIVING NEWS」という伝説の専門誌(2004年に廃刊)で、エビカニのコーナーを任されるようになったのだ。当時は、今のようにエビカニはポピュラーな被写体ではなく、世の中には図鑑もなければ情報すらほとんどない。そこで峯水が教えを請うたのが、学者たちだった。見たことのないエビを見つけたあるとき、「これは何というエビでしょうか?」と手紙を添えて、エビの写真を国立科学博物館へ郵送。すると、丁寧な手紙を返してくれ、「より適任者を」と千葉中央博物館の学者を紹介してくれた。しばらくすると意外な答えが返って来た。「今までに撮影されたことのない種類です」と。
「そういうやり取りを何回かさせてもらって、これは本を出さないとダメだなって思ったんですよね。毎日、海に潜っている自分は、学者さんも知らないようなことを、自分の目で確かめているんだって発見もあった。だからこそ話を聞いてもらえるし、それは自分の特権だなって思ったんです。『I.O.P DIVING NEWS』のコーナーでは、そうやって自分で見つけて調べたエビカニを写真付きで紹介していました。それまではガイドをずっとやっていきたいと思っていたけれど、海の魅力をより広く人に伝えるにはこいういう方法もあるんだなって思ったんですよね」
ミズクラゲが無数に舞う春の青海島に、満を持して現れるキアンコウの幼魚
そして27歳のとき、7年間の大瀬崎でのガイド業を卒業し、水中写真家として独立を決意。本来は、独立と同時に甲殻類の本を出版予定だったが、学術書としての側面から種の同定や分類に思いのほか時間がかかり、制作が大幅に遅れてしまっていた。本を出版すること以外に水中写真家として食べていく道筋も立っていなかったが、中途半端なことはしたくないと、あえて退路を断ち、ガイド業からは完全に足を洗った。食い扶持を稼ぐためにアルバイトをするにも水中撮影にこだわり、環境アセスメントの撮影仕事を引き受けるなどして糊口をしのぎながら、本の制作を地道に続けた。そして、独立してから3年が経った2000年11月、「海の甲殻類」を上梓。今でこそ甲殻類を扱った図鑑や書籍はいくつもあるが、この「海の甲殻類」こそ、日本初のエビカニ専門図鑑である。日本周辺で観察される大型甲殻類約530種を、800点近くの写真とともに丁寧に解説。かつてない専門書は、まさに全国の現地ガイドたちが待望していたものだった。すでに15年以上も前の本ではあるが、今でもバイブルの1つとして全国のガイド陣から重宝されているのは、峯水のこだわりが詰め込まれた濃厚な内容になっているからに他ならない。
「ダイバーが見て分かる使いやすい本にしたい、ガイドさんがネタにできそうなものをたくさん載せたい、と思って作りました。制作していると、どんどん載せたいものが増えちゃうのが悩ましいんだけど、本の制作はページ数も決まっているから掲載数にも限界がある。いっぽうで新しい種類もどんどん発見されるし、海の図鑑でパーフェクトなものって作れないんですよね。その時のベストなものを作るしかない。でも、こうやって新分野の本を出すことで新たな情報が集まってきたり、これをベースに別の視点からの本が出てきたりもする。いつかは更新されるべき運命だとしても、『海の甲殻類』はそういった色々なきっかけを作った本だったんじゃないかなと思います」
道なき道のゴールに見据えた前代未聞の本。
甲殻類に続く次なるテーマが、クラゲだった。クラゲの撮影に初めて成功したときから、峯水のなかに沸き起こる思いがあったという。「こんなにも美しい生き物は、もっとたくさんの人に見てもらいたい」。一般的にクラゲといえば、奇妙なルックスで長い触手の先に毒を持ち、海水浴などでも嫌われ者のイメージがある。そのいっぽうで、水族館では癒しの存在として人気者の一面も持つ。なんとも不思議な存在感を放つ生き物でありながら、その情報はきわめて少なく、生態も謎のヴェールに包まれたまま。生物としてのクラゲの魅力に心惹かれるのと同時に、この世に一冊とないクラゲの図鑑を作ることは、自分の1つの命題だとも峯水は考えた。
「海の甲殻類」の出版以降、雑誌やテレビの撮影でも活躍するようになった峯水は、忙しい仕事の合間にコツコツと単独でクラゲの撮影取材を敢行した。撮影地を決めるところからすべてが手探り。文献を漁れば、どんな種類のクラゲがどの辺に生息しているらしいという大まかな情報は得られるが、実際に海で見られるかどうかは分からない。事前に電話で現地のダイビングサービスや漁師に「○○クラゲはいますか?」と聞いてみても「○○クラゲって何?」と返される。姿形を説明しようにも写真もないため、結局、自分で行って確かめるしかなかった。
「もう、数を潜るしか方法がない。日本海のここから始めてここまで行くって毎回適当に決めて、車で寝泊まりしながら旅をしました。現地に着いたらプランクトンネット2※を引いてみて、ここにいるなっていうのが分かれば潜って撮影する。必要な場合は許可を取って潜る。その繰り返し。潮の干満や天気によっても出没率がだいぶ変わってくるので、ほんとうに試行錯誤ですね。少しずつ傾向を覚えていきながら撮影していきました」
※2 先端に採水器のついた、織目の細かい網。プランクトンを濾しとって集めるための器具
ふわふわと水面を漂うクラゲたち。水族館で見るのとはまた一味違って、見たい位置から見られる。自分が泳いで行く先にそれは終わりなく続くのだ。ダイビングって楽しい
気が遠くなるほど時間も手間もかかる取材生活のなかで、途中、クラゲという被写体ならではのアクシデントにも見舞われた。クラゲ毒である。とりわけ強烈だったのは、超大型クラゲとして知られるエチゼンクラゲを撮影したときのこと。完全防備で水中撮影に臨んだものの、海からあがってフードを外した瞬間に顔から首にかけてビリビリと電流が流れるような激痛が走ったという。
「小さいものもから大きいものまで、地球人のなかでもっともクラゲに刺された男でしょうね(笑)。その結果、毒の許容量を超えてしまったみたいで。ある日、中華街で食事をした帰り、高速道路を運転中、顔や喉がどんどん腫れて息苦しくなって。サービスエリアで救急車を呼んで、そのまま病院に運びこまれました。中華料理のなかにクラゲが使われていたようで、アナフィラキシーショックを引き起こしてしまったんですね」
はたから見れば「本を完成させる」という意志の炎を燃やし続けられたことだけでも奇跡だと思えてしまうほど、18年にもわたる孤独で長く険しい道のり……。信じた道をひたむきに突き進むことのできる、強靱な克己心を持つ峯水であっても、その道程はけっして生やさしいものではなかっただろう。それでも無事にゴールまで辿り着くことができたのは、クラゲという被写体が持つ魔性の魅力にただただ夢中になったからなのはもちろん、彼らの世界をつぶさに観察することで確信した自然界の教えに、写真家としての使命感を大いに触発されたことも、理由の1つだ。
「クラゲたちが、生き物ってほんとうに面白いなって改めて感じさせてくれました。透明なフォルムのなかに繊細なディテールがあったり、有性生殖の時代と無性生殖で増える時代があるなど、生きる上でじつはさまざまな技を持っていたりもする。色んな環境に合わせられる耐性も持っているから、もしかしたら人間や動物が地球上からいなくなってもクラゲだけは生き残っている可能性だって高い。人間の価値観だけで考えると、クラゲなんて無意味な生き物のように思えてしまうけれど、ほんとうはなくてはならない存在だということも気づかされました。撮影をしていると、食べたり食べられたりだけじゃなく、小さな生き物同士が互いに微妙なバランスで利用し合いながら生きていることが分かります。人間の尺度で考えたら、害虫と認定されて駆除の対象にされる生き物もたくさんいるけれど、必要のない生き物なんて地球にはいないんですよね。人間にはたとえ存在意義がわからなくても。そういうことを、色んな被写体を通してこれからも伝えていきたいと思っているんです」
触手は長く伸びているほど美しい。海を泳ぐ姿は時に芸術的にも感じられるのがクラゲの魅力の1つ
現在は、「日本クラゲ大図鑑」に続くシリーズ第二弾として、クラゲ以外の浮遊生物によりフォーカスした本を鋭意制作中だという峯水。目指す頂は、これまでと同様、前人未到の地点に定められている。どれだけの月日を費やすことになるのか、どれだけ険しい道になるのか、どんな困難が待ち受けているのか……。それは本人にも分からないというが、未知なる挑戦を語るその目には一切のためらいも、揺らぎもない。宿っているのは、探求心と使命感に満たされた強く優しい光だけだ。 「ガイドの頃から僕自身はじつはまったく変わっていないんですよね。海の世界で僕が見て感じたことを、人に伝えて喜んでもらいたい。それだけです、単純に。今はそれにプラスして海から教わったことを少しでも伝えていけたら。海は、自然の教科書みたいなものだからね」
(月刊ダイバー2016年2月号掲載)
ページ数:8ページ/見開き4ページ(P58〜P65)
容量:2.8MB(保存した場合)
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