ニューヨーク・スケッチブック 世界レックダイビング(●●)

複数のレックが点在するスービック湾

ロイド・ブリッジスが演じる「潜水王マイク・ネルソン」やクストー船長の「カリプソ号の冒険」をモノクロTVで観て少年時代を過ごした私が、やがて“アメリカ”と“ダイビング”に憧憬を抱くのはきわめて自然なことだった。大人になった私が、憧れのアメリカの都会の街の名前を持つ船と出会うことになったのは2005年の春、フィリピンのスービックを訪れた時である。その時は、後に毎年のようにこの透明度の悪いシルトの海に通うことになろうとは、まったく予想もしなかったのだが。
車でノース・ルソン・ハイウェイを北上し、途中SCTEX(スービック・クラーク・ターラック・エキスプレスウェイ)に乗り換えて西に向かうと、マニラから3時間ほどでオロンガポ州スービックに着く。今では自由貿易特区として栄える街となったが、かつては米海軍が駐留し、近隣のクラーク空軍基地とともに東西冷戦とベトナム戦争時代にはアジアの重要な戦略拠点として機能していた。
水底に厚く堆積した火山灰で、お世辞にも透明度が高いとは言えないスービック湾内には複数のレックが点在する。艦船の種類、サイズ、水深、損壊の状況、安全度、つまり潜在する危険の度合いに応じてダイバーのさまざまな要求に応えてくれる。技量、知識、経験、胆力などレック・ダイバーとして高い熟達度を試される『USSニューヨーク』を筆頭に、深度18mの輸送船『エル・カピタン』、水深30mに沈む大型戦車揚陸艦『LST』※1、さらにレック・ダイビング・スキルの最初の手ほどきを受けるのに最適な、水深8mに沈めた双発ジェット輸送機『コンヴェア340』など、ビギナーから経験豊かなレック・ダイバーまで飽きさせることがない。したがってアメリカ海軍駐留時代には、これらの沈船群がUDTやNAVY SEALsの演習場として使われることもあった。

1941年のクリスマスに3発の爆薬で沈められた『USSニューヨーク』

“USS”という艦船接頭辞は、“United States Ship”の略、すなわち「アメリカ合衆国の艦船」を意味する。憧れのアメリカの都市名を持つ米海軍戦闘艦、『USSニューヨーク』は、1891年にフィラデルフィアで進水した全長115m、全幅20m、総排水量8150t、500名を超える乗員と指揮官が搭乗する、当時最新鋭のCA-2型重巡洋艦である。
『USSニューヨーク』は、アメリカ・スペイン戦争を振り出しに第1次世界大戦、途中、サラトガ、ロチェスターと2度の改名を経て、第2次世界大戦開戦直後のクリスマスにスービックの港でその数奇な運命を閉じることになる。1941年12月25日、アメリカ太平洋艦隊旗艦まで務めた長い戦歴と無傷を誇った彼女は、真珠湾の勝利の勢いに乗って太平洋を南進する旧日本帝国海軍の手に渡らないように、シンガポールに撤退するアメリカ海軍自身の手で仕掛けた3発の爆薬によって、南国の冬の夕焼けに染まるスービック湾の中央に沈んだ。
建造後120年、沈没後70年経過した今も、彼女はひっそりと水深27mの水底に眠る。1991年のピナツボ火山の大噴火によって10m以上の厚さに堆積した火山灰の海底で、戦闘艦特有の分厚い鉄鋼の船体左舷を下に横倒しの状態で、艦橋の前後に装備した8インチの2連装回転砲塔の半分まで泥に埋没させてダイバーを迎える。
潜降して水深23m、後部甲板の8インチ砲身のすぐ上で、バディのファーグが残圧計を確認した。80 cf※3のツイン・シリンダーの残圧はともに190Barある。先に打ち合わせたロック・ボトム※4の40 Barを差し引く。ターンプレッシャー※5の100Barをお互いに手信号で伝え、すぐに予備のライトと2本のナイフ、スプール※6とノートのある場所、背中の3か所のシリンダー・バルブが開いていることを確認する。私が「俺たちのSCR※7ならこのペネトレーションを15分は楽しめる」と計算している間に、ファーグは左腿のポケットからスプールを取り出してジャンプ・ライン※8の始点をひと抱えもある8インチ砲の砲身に巻き付け始めた。

チャコール・ルームからバンプ・アンド・ゴーでの脱出行

今日のライン・マンは英国人の彼が務める。ファーグは振り返りながらライトで私に合図を送り、ラインを引きながら砲身の下の開口部に侵入した。私は少しだけ距離に余裕を持たせて後に続き、彼がタイ・オフ※9した箇所を確認しながらさらに進む。少し後ろから間合いをとり、直径5㎜ほどのクレモナ製のパーマネント・ラインにジャンプ・ラインを連結しているファーグの手元をライトで照らしてサポートした。
内部に入るとすぐに、身体をひねって前屈しなければ通過できない、ドアに阻まれた狭い通路に出る。通過した後、いつもの手順どおり、左のシリンダー・バルブを触って閉じる方向に動いていないかをチェックする。先頭のファーグは、パーマネント・ライン沿いに、フィンを使わずフィンガー・クロールだけで、無音のグライダーのように移動する。私は、モワッとしたベージュのインクが漂う視界の中を、先行する彼のライトが放つ滲んだ光の後を追う。目を閉じて「ゆっくりと、落ち着いて呼吸を保て、左手に感じるラインの感触に意識を集めろ」と自分に言い聞かせた。
狭い通路の移動の後、目的のエンジン・ルームに到達する。ファーグは楽しみの内部散策のために、もう1つスプールとアローを取り出してセーフティ・ラインを用意した。「OK、準備は万端だ。行こうぜ相棒」ダイバーがほとんど入ることのないチャコール・ルーム※10で遊んでいると、突然、自分たちの排気泡で、上から赤錆混じりの大量のシルトが降り注いで視界ゼロとなる。1オクターブ高いキーで響く心臓の音を聴きながら、ラインを維持したまま反転し、タッチ・コンタクトとバンプ・アンド・ゴー※11で出口に向かう脱出行が始まる。
『USSニューヨーク』は、戦闘艦であるが故に、肉厚の鉄鋼で造られた頑強な構造で、通路は狭く複雑に入り組み、内部は錆びた金属の突起物や瓦礫が散乱し、加えて堆積した火山灰に埋れて濁りやすい環境なので格別である。我々は予備の脱出口に出て、右舷側の深度18mに常設した係留ラインにステージした酸素シリンダーを回収して浮上を始めた。6mで予定どおりの加速減圧を終えた頃、過去の熾烈な戦闘で命を落とした先人たちに心の中で鎮魂の言葉を贈り、現在の平和な世界で暮らし、この酔狂なダイビングが楽しめる生活に感謝したのは言うまでもない。
【月刊ダイバー2013年2月号より】

※1=Landing Ship, Tankを略した艦船接頭辞。普通は接頭辞と船体番号だけで艦船名をつけない
※2=Underwater Demolition Team。第2次大戦で活躍した米海軍の水中破壊工作部隊。SEALsの前身といわれる。米海軍の特殊部隊で特に水中作戦を得意とする。その名称は、「Sea」海「Air」空「Land」陸からつけられた
※3=Cubic feet。キュービック(立方)フィート。80cfは、およそ11.5リッター
※4=最小ガス量を意味し、ガス切れ時に2のダイバーが水面またはステージや減圧シリンダーが使える深度まで浮上可能な呼吸ガス量を指す。ミニマム・ガスあるいは保守率とも呼ばれる緊急事以外には使わない残圧量
※5=戻り圧。この場合は1/3ルールを使うので、残圧計が100Barを指したときに出口に戻る判断をする
※6=糸巻きの意味。リールよりトラブルの少ない単純な構造のラインを収納する器材
※7=Surface Consumption Rate=水面消費率。1気圧下で1分間に呼吸消費する呼吸ガス量
※8=船内に留めてあるプライマリー・ラインまで船外から暫定的に張るライン
※9=結びつける。正確には、ガイド・ラインを船体のどこか一部に「巻き付け」ながら内部に侵入する。
※10=石炭貯蔵庫。当時の推進機関は蒸気で、燃料に石炭を焚いていた
※11=視界不良環境でダイバーが「追突」と「前進」を繰り返しながらラインに沿って移動するテクニック

AUTHOR

Takeuchi

DIVER ONLINE 編集部

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