【近世陶磁器の底部】
砂がちな湖底には、多くの遺物が埋没している
陸の遺跡とは違いまだ手つかずのものが多い水中遺跡、遺物の数々。
そんな、水中に眠る日本各地の遺物を追う。
第15回目は滋賀県米原市に面する琵琶湖北東部。
米原市から望む周囲約4m四方の巨石を中心に、湖底には古の土器や石造物などが沈んでいる。これらの採取物から、当時の人々の宗教に対する姿勢などを伺い知ることができる。
日本最大の湖である琵琶湖は、同時に最古の湖でもある。人々は有史以前から、生活の場や信仰の対象として、この母なる湖に支えられてきた。こうした背景から、現在100カ所を超える水中文化遺産が知られ、これは全国でも屈指の密度である。
今回紹介する磯湖岸遺跡は米原市に所在する。湖岸に浮かぶ周囲約4m四方の巨石は、その姿から「烏帽子岩」と呼ばれている。ここから北方に約500mの範囲が磯湖岸遺跡である。これまで発掘調査は行われていないが、過去には弥生時代から古墳時代の土器が採集されている。最近では滋賀県立大学の学術サークル、「琵琶湖水中考古学研究会」による潜水調査が行われ、烏帽子岩周辺からは奈良時代から室町時代にわたる土器や石造物の他、江戸時代以降の多量の陶磁器の散布が確認された。とくに興味深いのが石造物群で、いずれも「五輪塔」と呼ばれる小型の仏塔の部材である。これは仏教の五大要素である空・風・火・水・地を表したもので、それぞれ宝珠形・半月形・三角形・円形・方形に石材を加工し、組み合わせるものである。各部材の数から、室町時代には少なくとも2基以上が建てられていたようだ。
【近世の染付磁器】
江戸時代は、肥前陶磁を中心とした遺物が目立つ
①【五輪塔(水輪)】
6世紀後半頃に作られた、花崗岩製の仏塔の部材
②【瓦の破片】
数多くの瓦が散布するが、理由ははっきりとしない
③【五輪塔(火輪)】
正面の穴に別の部材を設置する。こちらは砂岩製
ここで、地域の歴史をひも解いてみたい。正応4年(1291)に描かれ、その後模写されたとされる「近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図」は、中世における寺社の様子が詳細に描かれている。その右端山中に描かれる磯崎神社は今も存続し、その正面の琵琶湖中には「白鬚影向岩」とされる巨石が描かれている。これが現在の烏帽子岩と考えられ、古くから信仰の対象となってきたことがわかる。しかし神社は神を祀る場であり、仏塔である五輪塔は一見異質である。この背景にあるのが神仏習合で、明治時代に行われた神仏分離政策以前には、神や仏はときに一体として信仰されていた。現在、そうした信仰の様子を陸上から見出すことは難しい。しかし水深僅か2mの湖底に眠る遺物は、当時の様子をありありと伝えてくれるのである。
【浅瀬の遺跡】
水深2mに満たないが、人知れず遺跡が眠っている
【古絵図】
近江国坂田郡筑摩社並七ヶ寺之絵図(筑摩神社所蔵)
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」 考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、月刊ダイバー編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児 (やまもと・ゆうじ)さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
>>this is the link with your pubblication…under your Picture:
http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=中川 永 (なかがわ・ひさし)さん
滋賀県立大学大学院博士後期課程/日本学術振興会特別研究員/アジア水中考古学研究所会員/琵琶湖水中考古学研究会代表