【発見された碇石①】
小型の角柱型の碇石が発見された。スケールで大まかな大きさを測る。
五島列島の1つ、中通島の東部に位置する潮合崎は、幕末の偉人、坂本龍馬が設立した亀山社中の小型木造船『ワイル・ウエフ号』が沈没したと伝わる場所だ。 『ワイル・ウエフ号』は、亀山社中が薩摩藩の援助を受けて購入した。慶応2(1866)年4月28日、薩長連合成立による親善のため、鹿児島に向かう途中に長州の蒸気船ユニオン号に曳航され長崎を出港。しかし甑島沖付近で暴風雨に遭遇し、同年5月2日未明に中通島沖にたどり着いたが、潮合崎にて座礁・転覆したという。
【発見された碇石②】
長さ約85㎝。先端に向かって細くなる先細りタイプの碇石。先端は折れた痕が見られた。
地元の史料には、座礁・沈没した後の船の始末や、積み荷の引き揚げの様子が詳細に記録されている。それによると、騒動を聞きつけた地元集落の人々により乗員が救助されたが、龍馬の部下である池内蔵太など12人が死亡。鉄鋼、地金、大砲、小筒、ライフル銃などが海中に沈んでいたらしい。死亡者は地元の寺の住職により葬られたが、後に龍馬の依頼で慰霊墓が建立された。地元の民宿には、『ワイル・ウエフ号』のかじ取り棒と伝わる約4mの材木も残されている。
【発見】
自然の作用ではできないような形を見つけることがコツ。
それらの情報をきっかけにして、平成22年10月、潮合崎付近の潜水調査を実施することとなった。幕末の志士たちに思いをはせながら、周辺を丹念に調査したのだが、残念ながら『ワイル・ウエフ号』に関係する直接的な遺物を水中で発見することはできなかった。昔の記録では、沈没直後1か月半にわたり入念に荷揚げ作業が行われたとされ、その後も地元潜水夫や海女により、目につく範囲の遺物はすべて引き揚げられたのだろうか?
【伝承者】
江ノ浜郷に居住している原 一利さんの祖父は救助活動に参加し、その様子は代々言い伝えられてる。『ワイル・ウエフ号』の座礁やその後の救助活動を歌った「汐や騒動の唄」なるものも存在する。
調査中には、碇石と推測される角型石材を3点確認することができた。同じ五島列島の小値賀島でも長年の潜水調査で、多数発見されており、海を利用した人の営みを垣間みることができる。当時、『ワイル・ウエフ号』の航行に奔走した志士たちの営みの証も、今後調査を行えば、新たに見つけることができるかもしれない。いつまでも、ロマンを残す場所なのである。
【龍馬像】
潮谷崎の方向を向かい合掌している。当時「寺田屋事件」で傷を受け、鹿児島で療養中だったが知らせを受けてすぐに駆けつけたという。
考古学3つの原則
「遺物には触らない」「遺物を動かさない」「遺物を取り上げない」
考古学では何がどこにどのようにあるかを確認することがもっとも重要です。3つの原則を守り、遺物かな? と思うものがありましたら、DIVER編集部までお知らせください! >>hp@diver-web.jp
写真=山本 遊児さん
水中文化遺産カメラマン/アジア水中考古学研究所撮影調査技師/水中考古学研究所研究員/南西諸島水中考古学会会員/The International Research Institute for Archaeology and Ethnology 研究員
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http://membership9.wix.com/iriae#!yamamoto-biografia/cddr
文・解説=吉川 奈央さん
山口大学大学院人文科学研究科考古学専攻修了。中津市役所勤務。NPO法人アジア水中考古学研究所会員。