なぜ水俣に潜ろうと思ったのか?
「水俣」と聞くと、ダイビングよりも、「水俣病」という言葉を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。学校の授業で聞いた、ニュースで見たことがあるという人もいると思います。熊本出身である尾崎さん自身も、遠い昔の出来事という認識しかなかったそうです。では、なぜ水俣を選んだのか。そのきっかけとなったのが「水俣病」発生による水銀汚染を防ぐために海に設置された「仕切り網」の存在でした。
「仕切り網」は、水銀で汚染された魚を隔離するため、水中に設置された網。1974年に約4.4kmにわたる巨大な網が設置され、段階的な撤去を経て1997年に完全撤去されるまで、23年にわたり水俣湾にあり続けました。
きっかけは好奇心から
1995年、網の撤去を巡る議論が連日繰り返されていました。海の中を網で区切るなんてできるのか?海の中はどうなっているのか見てみたいという気持ちが湧き出し、潜ることを決意したといいます。
水俣湾は命あふれる海だった
水俣湾は汚染された「死の海」、潜る前はマイナスイメージばかりが先行していましたが、実際に潜ってみると、スズメダイが仕切り網周辺に群れをなして泳ぎまわる命溢れる海だったのです。
生まれる命、亡くなる命、網沿いにはさまざまなドラマがありました。仕切り網があることで水俣の海を表現できる。この網は水俣湾の象徴的存在だったのです。その様子を見た尾崎さんは、この海をみんなに伝えたい、一生この海を撮り続けていくと直感的に感じたといいます。
「普通」に戻っていく海
1997年、数か月にわたる工事で仕切り網が全面撤去されました。魚たちの繁殖の場でもあった仕切り網が撤去され、そこに暮らしていた生き物は姿を消してしまいました。水俣の象徴がなくなったことで、尾崎さんは水俣を表現できなくなってしまいました。
それでも水俣に通い続けるうちに、それまで見られなかった光景に出会うようになりました。少しずつ「普通の海」に戻っていくたくましいその姿に気が付いたといいます。
水俣の海が教えてくれたこと
1995年、好奇心と行動力に突き動かされ、独断で水俣の海に潜った日。 「後に、知り合った行政の人に聞いたんです。もしあの時、県や漁協に潜水許可をとっていたら?って。“許可がでるはずない”って言ってました(笑)。入念に準備をして、漁協とかに連絡していたら、今の写真はなかった」と尾崎さんは言います。1度は人の手によって汚染されてしまった海。そこでたくましく暮らす生き物や、海を糧に生きる人々の姿は、本当に大切なことを私たちに教えてくれた気がしました。
ヒメタツとの出会い
後半は、尾崎さんの近著「フシギなさかな ヒメタツのひみつ」の主人公、ヒメタツについてのお話。
長年観察してきたタツノオトシゴが、新種と認定されたのは2017年のこと。
ヒメタツは、雄が持つ「育児嚢(いくじのう)」というお腹の袋に、雌からもらった卵を保有した後、孵化&出産となります。なんだかカンガルーみたいですね。また、タツノオトシゴと異なり、孵化と出産は同時に行われるのだとか。そして出産後、また同じペアリングで卵の受け渡しをすることが多いそう。1度愛を確かめあうと、次も相手を認識して同じペアで繁殖するという、魚の中でもとても珍しい生き物なのです。
「雄は出産のとき、小さい身体をぶんぶん振って、何度も屈伸運動をします。身体を振って水流を作ることでお腹から子供を産み出すんです。産みの苦しみを味わっている様子は、とても魚とは思えない。本当に人間的なんです。子供を見る目とか、いろいろな表情を見せてくれる。子供を産む人間のお母さんのよう。魚だけれど、人間に近しいものを感じました」
写真絵本の特別販売
会場では、5月に発売された近著 写真絵本「フシギなさかな ヒメタツのひみつ」や、水俣の海をめぐる命の物語を温かな水俣弁で伝える写真絵本「みな また、よみがえる」も販売されました。サインと一緒に、可愛らしいイラストつきで大好評でした。
人間らしい?ヒメタツの生態がぎゅぎゅっと詰まった1冊。ぜひお手にとってご覧ください。
購入はこちら。
尾崎さん、JCUEのみなさん、セミナーに参加されたみなさん、ありがとうございました!
尾崎たまきさん
水中写真家。
21歳のとき独学で水中写真に取り組んだ後、水中写真家・中村征夫氏の弟子 として11年間研鑽を積む。2011年よりフリーとして独立。水俣の海で暮らす生物や、海を糧に生きる人々の姿を追い続けてきた。現在は、水俣をはじめ、三陸、動物愛護センターなどをライフワークに追い続けている。公益社団法人 日本写真家協会(JPS)会員。愛玩動物飼養管理士。
http://www.ozakitamaki.com/
主催:JCUE(正式名称 日本安全潜水教育協会)
1970年にスクーバの指導団体として誕生し、インストラクターの養成やダイビングの啓蒙普及の為の教材を開発。1980年代に入り、開発や販売などの営利部門を株式会社に移行し、水辺の安全と環境保全を中心とした各種セミナーや文化会活動、フォーラム等を行っている特定非営利活動法人。
https://jcue.net/